哲学者ニーチェの遠近法の罠
こんにちは、おっぱっぴー芸術思想家KeithUです。
今回は、メールマガジン第一弾として、あの有名なニーチェについて取り上げたいと思います。
ご存じの通り、彼は有名な哲学者でほとんどの方が知っていると思います。その人の何が特異か?と言ったら「神は死んだ」と当時のキリスト教の権威に盾突いてすべてを否定する無神論的立場を主張する哲学を生み出したことなのですね。
ニーチェについて
今でこそは、当たり前のことを言っているように思えますが、当時は主流派の人がクリスチャンであり、そのことに誰も気づいてなかったというか、少なくとも多数派の人はニーチェのような視点を持っていなかったと言えます。だから、「ニーチェの主張なんて当たり前じゃん!」て思われる方がいるかもしれませんが、彼の主張は当時としては相当ぶっ飛んだ思想だったわけです。だからこそ、学会から追放されてニートにまでなり落ちぶれた挙句、自身の著書を自費出版したもののまったく売れずに自殺した、という悲惨な人生を送っております。
ニーチェの遠近法について
ニーチェの遠近法とは簡単に言えば、絵画の遠近法を人間心理に当てはめた哲学だと思います。つまり、人はみな絵画の遠近法のようにこの世界を捉えているということです。近くに見える景色は自分にとって近く見えるけど、遠くに見える景色は自分にとって遠くに感じる。これと同じようにこの世界の現象は、すべて人間が自分にとって身近に感じる事柄は自分と関係があるように思えるが、またその逆もあり得るということです。
簡単な例を挙げれば、お金に興味ある人にとっては投資やビジネスのため、あるいは自己啓発として起業セミナーに参加することなどは人生にとって一番大事なことかもしれないけど、お金にまったく興味ない人にとっては投資なんてものは無駄でお金をドブに捨てるギャンブルにしか見えないわけです。その他にも、恋愛が好きな人にとっては恋人がいないことは信じられないけど、そうじゃない人にとってはそうでもない。
このようなことは日常茶飯事ですべてとは言わないけどほとんどの人間に当てはまるのではないでしょうか?だから、私にとっては哲学的な思考を自ら発信するメールマガジンは今の時代に必要な大事なことだと思うから発信するわけですが、哲学なんて無駄でバカバカしいと感じる人にとってはまったく必要だと感じないわけです。私は、だからこそ「必要だ。」と思う人向けに発信しています。
そして、これらの遠近法についてはほとんどの人は一応頭では理解しています。
なぜなら「人それぞれ何が正しいか何が正しくないかは価値観はそれぞれ。」であると一応ほとんどの人が理解しているからです。だからこそ相手の話に聞こうとするし、他人の意見からも学ぼうとするわけです。しかし、そこには罠があります。
遠近法の罠
遠近法の罠・・・それは、ずばり人間は自分の主観からは抜け出せない、ということです。
それは、身近な例で言えばネットの書き込みを見れば分かります。普段は人には言えないようなことがネットには赤裸々に本音として語られているからです。これは、多分実社会では人は面と向かって他人には言いたいことが言えないからと相手を気遣う心理が働くからです。「これを言ったら嫌われる」とか「これを言ったら自分の立場がまずくなる」とかそういった心理です。
そして、ネットでは匿名なのでそのような心理的メカニズムが働かないから本音が語られるわけです。そして、そこにはその人のリアルな本音がつまっています。そして、ほとんどの人は「自分が思うような正義を主張していてそれぞれみんな正しいと思っているが、それだけが正解じゃない。」ということが分かってない。あれだけ頭では理解していた「人それぞれ意見は違う。」という当たり前の前提がそこにはない。それはなぜか?
「人は自分の主観からは抜け出せない。」
この一言に尽きると思います。
「何だ、当たり前じゃないか?!」と思われるかもしれません。
でも本当に当たり前でしょうか?
ほとんどの人は相手の意見を尊重するべきだと思っているのにも関わらず、そうなれないのはやはり人間は保守的で自分が一番正しいと思いたい生き物だということです。それは、逆に言えばそうじゃないと自我が保てないからある意味仕方ない人間の本能的行為とも言えます。
金持ちは貧乏人のことはあまり理解できないし、宗教をやっている人は無宗教を理解できないし、人種や性別が違うと理解し合うのも難しいし・・・
そういった意味では、ニーチェの遠近法という罠にほとんどの人がハマっているわけです。頭では理解したつもりになっているけど、実際はそうじゃないということです。それは、人間の自分に対する甘さと主観から逃れられないという人間の知性の限界を表しているとも言えます。
なぜ人は主観から抜け出せないのか?
これらについては、様々な見解があるかもしれませんが、一言で言えば人間が不完全だからです。それも当たり前じゃないか?と言えばそうなのですが、なぜ不完全なのかまでは証明できないですよね?それをある程度証明できるのがまさに哲学なのです。それは、哲学を学べば分かります。なぜかと言えば、ハイデカーやヘーゲルといった最難関の哲学を多少学べば分かるのですが、形而上学や哲学といった概念でいくら難しいことを考えても、真理という答えは出せないということです。ハイデガーは「存在と時間」という難解な哲学書を執筆していますが、彼はそこから何かを証明できているわけではない。せいぜい、存在論について語っているだけにとどまっています。ヘーゲルも「精神現象学」で絶対知という概念を打ち出していますが、それが何なのか?までは哲学研究の学者の間でも意見が分かれるらしくつまり絶対的な証明にはなっていないということが言えると思います。
つまり「哲学者ですら真理は分からない。」
ということが言えるのかと思います。真理について哲学者ですら分からないのに、そもそも専門家じゃない普通の人たちに何が真理なのか?などは到底分からないということかと思います。つまり、人間には何が正しくて何が間違っているか?などということは分からないということです。
そこをまず理解することから新たな境地に立てる、ということかと思います。
結論
要はあらゆる人と議論して妥協点を見出さないと答えにはならないのだと個人的には思います。なぜなら人間は主観からは抜け出せないわけだから、その不完全な主観の延長上には答えなどないからです。だからこそ人はお互いに意見を尊重し合い妥協点を見つけることでしかよりよい答えを意味出すことができないわけです。
しかし、何度も言うようにほとんどの人はこのニーチェの遠近法の罠にはまっているので、そこに気づかないことが多いのだと思います。
かくいう私のこのメールマガジンの哲学についての意見も遠近法の罠にはまっているのかもしれません。だから、私の言うことを単に鵜呑みにするのではなく「本当にこの意見は正しいのか?」と常に疑ってかかることが必要なのだと思います。
以上、ニーチェの遠近法の罠についての記事でした。
最後までお読みいただきありがとうございました。