思い切って、私は冷蔵庫の中のバナナを一本むしった。
オレンジジュースの入ったコップと一本のバナナを持って、食卓に座り直す。正面に目をやると、写真の中のじいちゃんがバナナを食べながら、こっちを見て笑っている。じいちゃんは私に笑いかけている。私が小さかった頃から、ずっと笑いかけてきてくれたじいちゃん。ずっと変わらぬ笑顔のじいちゃん。
じいちゃんよ。あなたはその笑顔で私に一体何を伝えようとしているのだ。じいちゃんよ。あなたは私に、このバナナを食えと言っているのか。じいちゃんよ。何故もっと長生きしてくれなかったのだ。じいちゃんよ。出来たら生きて、私に色々伝えて欲しかったよ。
私は持っていたバナナの皮を剥く。甘い匂いが鼻をつく。黄色い皮を剥くと中から白い果肉が露に飛び出して来た。この果物が時々セクシャルな意味合いで使われるのも、少し分かるような気がする。白い果肉をそっと口に含んでみる。鼻からバナナの甘い香りが抜ける。舌でバナナに触れてみる。表面はなんとなくかさかさとしている。そして甘い。私は意を決して、上顎と下顎を擦り合わせるようにしてバナナを齧る。歯ごたえは、なんか、くちゅくちゅとした感じ。そして、とても香り深く、ねっとりとして甘い。
私はその時初めて知る。「バナナは甘美な果物なのだ」と。
せき立てられるように二口目を齧る。ゆっくり咀嚼する。そして三口目。三口目のバナナを飲み込んだ瞬間、腹の下の方から何かが逆流してくるような感じがした。いや、それは胸の奥の方から分厚い雲の塊のように湧き上がってくる感情のようなものだった。私はそれを四口目のバナナと一緒に飲み込もうとしたけれど、込み上げてくるものを抑える事は出来なかった。
右の目から涙がこぼれた。左の目からも右の目を追うようにして涙がこぼれ始める。何回も、何回も、右と左で涙が競争するように頬をつたう。
じいちゃんはバナナを食べながら、私を見て笑ってる。
私はバナナを食べながら、じいちゃんを見て号泣してる。
じいちゃんの隣に座っているのが母さんじゃなくて、私だったらよかったのに、と私は思う。
母さんには悪いけれど。
「うまい。うまいよ。じいちゃん。バナナ。うまいよ。」
バナナを食べ続けながら、ふと我に返って私は時計を見る。8時15分を過ぎている。それでも、涙は止めどなく流れてくる。
「じいちゃん。遅刻だ。でも。仕方ないや。だって。これ。うまいんだもん。」
私はバナナを一本食べ終えて、皮を食卓の上にやさしく寝かすように置いた。じいちゃんは私を見て幸せそうに笑っている。「どうだ、バナナ、うまいだろう。」とでも言わんばかりに。
食卓に置かれたバナナの皮は、静かだった。なんとなく、幸せそうに見えた。
私は冷蔵庫から二本目のバナナをむしって来て食卓に座り、じいちゃんの顔を見ながら食べ始めた。「じいちゃん。あのさ、」写真の中のじいちゃんに向かって、私は言葉を投げかけた。
じいちゃんは、笑顔で、応えてくれている。
しばらくして洗面所から戻って来た母さんが、私を見て言った。
「何してんの、また遅刻じゃない!…あら、やだ。…あんた、泣いてんの。」