「エシカルライフのすゝめ」― 「食」を通じて考えるエシカル―
こんにちは。藍です。
ライターを目指しながら、普段は会社員をしています。自然派生活、エシカルな生活に興味があり、少しずつ日常に取り入れられるよう勉強中です。
以前、食糧廃棄(フード・ウェイスト、フードロス)について考える回がありましたが、今回はより大枠の「食」について。
エシカルライフの魅力は様々ですが、個人的にはひとつのアクションが、共通する複数の問題に対するアクションに繋がることに、魅力を感じています。例えば、今回のトピックである「食」の背景には、気候変動の影響を受ける食糧、食糧廃棄の影響を受ける環境問題や、動物福祉(アニマル・ウェルフェア)とヴィーガンの関わり、そしてヴィーガンと環境など、「食」を取り巻く複合的な問題が存在しています。
さて、「食」におけるエシカルライフの実践のひとつとして「ヴィーガン(菜食主義者)」になることや、より始めやすい「ベジタリアン」になることが考えられますが、食の習慣を強制的に変えるのはなかなか難しいと思われます…そこで今一度考えてみたいのが、
なぜ、ヴィーガンやベジタリアンを目指すのか?
「食」において、自分は何にこだわるのか?
一人ひとりが「食」に向き合おうとする時、譲れないもの、優先したいものは「健康」なのか、あるいは「コスト」、「量」、「質」、はたまた「自然界に対する考え方」や「環境問題」なのか…
ヴィーガンやベジタリアンを目指す人の目的も多種多様。いくつもの譲れないもの、優先したいものが交わった結果「ヴィーガン」や「ベジタリアン」を選ぶこともあると思います。
「エシカルライフ」の観点からは、環境問題や動物福祉の問題に対するアクションとして、ヴィーガン、ベジタリアンになるという選択がありますネ。
肉・魚(卵、魚介、他)の背景にある、動物たちの飼育環境や「家畜」を飼育する際に発生する二酸化炭素の問題、肉・魚以外にも砂糖、コーヒー、米、カカオなど食糧生産の現場では児童労働が問題として挙げられています。
これらの国際的な問題が「消費」の流れに乗り、私たちの身近な「食」の背景に存在している…けれども、"なんとなく日常の一部である「食」"として、"日々食べるものを選ぶ日常的な行為"として、生活しているとなかなか意識しづらい事実でもあります。
前回の「衣」に引き続き、衣食住の「食」も、習慣化・日常化した生活の一部となっていますが、このような日常的な行為に対し、「なぜこれを選ぶのか」を自分自身に問い直すことで、日々の生活がエシカルライフにカスタマイズされていくのではないでしょうか…。
そのカスタマイズ過程も楽しみながら、今の自分にできることから、エシカルライフを続けて行きたいと私自身も感じています。
参考図書:一般社団法人エシカル協会「エシカル白書 2022-2023」