初対面の他人の家(バンドのメンバー募集)
その昔、ケータイもスマホもまだなかった時代。バンドを組むときのメンバー探しといえば友達関係、スタジオの張り紙、そして音楽雑誌のメンバー募集のコーナーでした。今回は音楽雑誌のメンバー募集でのお話です。あ、別にたいした話じゃないですからね。
大学時代に組んでいたバンドが解散して、次のバンドをやろうと思っていたころ、たまたま目にした雑誌のメンバー募集のコーナーにぼくと趣味が似た人たちが載っておりました。ギターがやめたのでギタリストを急募しているとのこと。思い切って書いてある連絡先に電話(もちろん家の電話)をしてみるとまだメンバーは見つかっていないらしく、後日会うことになりました。約束した東横線・白楽駅で待っていると当時流行っていたロン毛のチャラそうな人(ぼくより3つほど年上)がやってきました。
「産屋敷くんっすか~?」
やはりチャラい感じで聞いてきました。
「そうっす」
「ここじゃなんだから、ウチに来てよ」
という感じで初対面のチャラそうなロン毛の人の家にいきなり連れて行かれました。
コンビニで缶コーヒーを買って何を話したかわからないけど、その人の家に到着。
6畳一間のその部屋は真ん中にテーブルがあって、それを囲むようにベッド、テレビ、ビデオ、ステレオが置いあるシンプルな『ザ・男の部屋』でした。
到着してから少しだけどんな音楽が好きか?みたいな話をして、その人がやっていたバンドのビデオを見ました。ビデオを見ている途中で、後から来る予定だったドラマーの人が到着。ビデオではよくわかりませんでしたが、チャラい上にいかついビジュアルの人でした。軽く挨拶をして、そのままビデオを見終えると、なぜかその後は一切音楽の話はぜずに、彼らの女友達が歌舞伎町で拉致られたという話になりました。歌舞伎町の裏通りで歩いていたら黒塗りのバンが急に停まって文字通りさらわれたようでした。その後、その女の人は無事に戻って来たみたいですが、他にも歌舞伎町の危険な話を繰り返し聞かされ、最終的に歌舞伎町はとにかく危ない場所だ!というオチで、初顔合わせの会はお開きとなりました。
当時、今より真面目に音楽をやろうとしていたぼくは、音楽の話もロクにしないチャラい人たちとはバンドはできないなぁと思い、一緒に音を出すこともなく連絡をしなくなりました。多分向こうも連絡をしてこなかったと記憶しているので、きっと歌舞伎町のオモシロ話に乗ってこなかった面白くない奴だと思われたのでしょう。
今思うと、チャラかったけどなんだか愉快な人たちだったし、膝を突き合わせて音楽の話をするより歌舞伎町ヤベーっみたいな軽いタッチの話をしていたほうがずっと打ち解けられるような気がしないでもないですね。
もしその人たちとバンドをやっていたらどうなっていたのかは神のみぞ知るですが、何よりも雑誌に載っていた全然知らない人の家に電話をして、初対面のその人の家にいきなり行って一緒にビデオを見ている画がなんともシュールで牧歌的です。
多分、95年の夏あたり。
渋谷系が流行して、稲中卓球部が爆笑をさらっていたオウム事件のちょっと後の頃のお話でした。