そう。
こういった非人間的な考え方の背景には2点あります。
1つ目は,「100%の正常な女性」・「100%の正常な男性」という偏った観念です。
皆さんは,女性・男性の容姿を「100%の正常な女性・男性」という観念で,相手を「何%くらいか」と位置づけようとしますか?
人によってはスペクトラムモデルを使って「インターセックスの人もいるから性はグラデーションだ。100%の女性・男性はいない」と言う方がいらっしゃいます。こう聞くと,皆さんも性別から解放されたという感じがしたり,LGBTQ等性的マイノリティの皆さんの理由付けにもなるように思う方もいらっしゃるでしょう。
とても不思議なことに,「インターセックスの人もいるから性はグラデーションだ。100%の女性・男性はいない」と最初に唱えた人は,自分がDSDsを持つ人々を「男女の中間」に位置づけて,他人の家の子どもの「性器」の話を人身御供にしていることに全く無意識なのです。
大変残念ながら,日本のLGBT活動家の一部の人やアカデミズムの学者さんたちの中には,出生時に性別判定検査が必要なDSDsを持つ子どもたちの外性器の図画や写真を使って「何をもって男性器・女性器と言うのか?」と公然で訴えたり,DSDsを持つ女性・男性の全裸の写真を使って「性はグラデーションだ」と唱える人もいます。(海外の「ジェンダーブレッドパーソン」や「ジェンダーユニコーン」も,DSDs当事者の人々の意見を聞くこともなく,同じ発想で作られています)
皆さんは,自分自身や自分のお子さんの「外性器」や「全裸」の写真を,自分たちが全く望まない形で,公然と「展示」されたいでしょうか? そんなわけ,ありませんよね。
では,DSDsを持つ子どもたち・人々に対しては,なぜこんなに無意識に,非人間的な事が起きるのでしょう?
それはスペクトラムモデルの背後にあるものの2つめ,
人間を「標本」や「見世物小屋」のように扱ってしまえる心性です。
21世紀の現代でも,DSDsを持つ人々の,それに対して「男でも女でもない」と偏見を持たれる故に自殺未遂にまで至ってしまうこともある,最も私的で最もセンシティブな領域であるはずの「性器」の図画や話を,公然と「展示」できてしまうのは,そこにいるのが「人間」ではなく,「モノ」や「標本」でしかないからです。
付け加えますが,現在のDSDs専門医療では,DSDsを持つ患者さんたちを「標本」のように扱う態度は厳に慎まれています。 ですが,お医者さんの中には,とても残念ながら,そういう観念を持ったままの人達がいらっしゃるのも事実です。 残念ですが今でも研修医に囲まれて性器の検査を受けたという話は絶えません…。
更に,最近はかなり変わってきていますが,産婦人科の先生方や研究職のお医者さんは,DSDsを持つ赤ちゃんにしか会うことがなく,その後はすぐにDSDs専門医にリファーすることになるので,当事者のその後の切実さなどがよく分かっていない先生方も残念ながら多いのです。
そしてそれ以上に現代では,アカデミズムの先生やLGBTの活動家の方で,DSDsを持つ子どもたちや人々の全裸の写真や「性器」の図画を使って,「体の性もグラデーションなのです!」「何をもって男性器というのか!?」と訴えるような人が現れてきているという,とても非人間的な状況が復活しているのです。