わたしは語学が好きです。知らない言語を話す人に出会うとすぐ言葉に興味を持ちます。いろいろな言語をかじりました。でも、きちんと話のできる非母語はひとつもなく、旅行会話程度のレベルがかろうじて3言語です。そんなわたしに、連れ合いは言いました。
「最近は優秀な通訳アプリがある。時間をかけて勉強しても話せない人より、なにも勉強しなくてもスマホで話せるオレは勝ち組」
確かに勝ち負けでいえばそうなのでしょう。でも、語学学習の面白さは、通じる・通じない以外の部分にもあるんです。
1990年代、トルコ旅行をしている時にクルド人の青年に出会いました。世間話からわたしがトルコ語を勉強していると知った彼は、「クルド語も覚えて」とその場でミニレッスンを始めました。
わたしは彼が口にしたフレーズをアルファベット(トルコ語の文字はローマンアルファベットをもとにしています)で書き留めようとしました。すると、彼は「それはトルコ語の文字。クルド語には文字がないから、キミの母語の文字を使ってほしい」と言いました。
それまで私は漠然と、各言語には固有の文字があると思っていたので、はっとしました。そして、彼にそう言わせたトルコ共和国とクルド人の関係にも思いを巡らせました。
それから30年ほど経った昨年。北海道の先住民族アイヌの文字について、専門家の話を聞く機会がありました。
アイヌ語には固有の文字がないと100年以上いわれ続けてきましたが、その間に日本国内のアイヌ語母語者や研究者たちは苦労してアイヌ語のカタカナ表記の基準をつくり、書籍や辞典も発行されるようになっていました。なぜカナかというと、日本国内で暮らすアイヌ民族の「母文字(←こんな言葉ありません。わたしがつくりました)」だからです。
そして現在、アイヌ語は文字を持つ言語になったといえるのだとその専門家は言いました。言語は人の営みとともに生きているのだなぁとわたしは感じました。
平安時代に漢字を崩して生まれた日本語のひらかな。15世紀に世宗大王の指示のもとで生まれたハングル。19世紀にアタチュルクが確立させたトルコ語の文字。言語を学ぶと、その背景にある歴史や文化に関する知識も深まります。
文字だけではありません。表現や文法の違いも面白いです。日本語の「ある」「いる」、英語の「単数」「複数」といった区別のこだわり。男性名詞・女性名詞の区別がある言語圏は、LGBTにどう対応しているのかな?など、文法とは関係のないさまざまな疑問もわいてきます。
イスラエルで使われているヘブライ語が、儀式にしか使われていなかった古代の言葉を現代の日常言語として復活させたものであるという驚き。
膠着語(助詞や接辞が名詞・動詞にくっついて文になる言語)と分類される言語として、モンゴル語・日本語・韓国語・トルコ語のどこか似ている言語群に、遠く北欧のフィンランド語が加わってくる意外性。
ひとくちかじると、知らない味わいに好奇心が刺激されます。何度もかじると、いろいろな味があったことに驚きます。いろんな種類をかじると、世界中をグルメ旅行している気持ちになります。
もちろん、話して通じ合えた時のうれしさは別格で、語学学習の最上級のごちそうといえるでしょう。
そう考えると、連れ合いは好きな味の幅が狭いだけなのかもしれません。わたしは彼と違って、臭い香草や魚のにがい内臓なども喜んで食べますから。
好き嫌いせずに一度食べてみると、もしかしたら大好物になるかもしれないのにと、ちょっとさびしい気持ちです。