均等法世代の女性が50代前半にさしかかり、定年が視野に入ってきた。すでに一部の大手企業では関連会社への出向・転籍が始まるなど、キャリアの大きな転換点を迎えている。“男性並み”のキャリアを築いてきた彼女たちは、第二の人生をどのように思い描いているのか。みずほ銀行初の女性役員である有馬充美さん(55)は、昨年12月に退職して新たな人生を歩み始めた。男性社会の中で順調にキャリアを築いてきたかに見える彼女が、50代半ばにして「既定路線」を離れたのはなぜか。女性社員のロールモデルとされながら、退職することに迷いはなかったのか。米国の大学で1月から学び直しを始めた有馬さんに、心の内を聞いてみた。

<span class="fontBold">ありま・あつみ</span> 1962年生まれ。86年京都大学卒、同年現みずほ銀行に入行。34歳で出産、復帰後にみずほ証券に出向する。みずほ銀行法人企画部次長、M&Aの助言を行うA・L・Cアドバイザリー部長などを経て、2014年に3メガバンク初の生え抜き女性役員となる。2017年12月に退職し、この1月から米ハーバード大ALIブログラムで学ぶ。
ありま・あつみ 1962年生まれ。86年京都大学卒、同年現みずほ銀行に入行。34歳で出産、復帰後にみずほ証券に出向する。みずほ銀行法人企画部次長、M&Aの助言を行うA・L・Cアドバイザリー部長などを経て、2014年に3メガバンク初の生え抜き女性役員となる。2017年12月に退職し、この1月から米ハーバード大ALIブログラムで学ぶ。

50代半ばで銀行役員を辞めるという決断をされた理由は?

有馬(敬称略、以下同):危機感を抱いたのです。人員数を削減しようとしている銀行にいて、これからどうなるのかという危機感ではありません。入社して30年くらい、いろいろな経験をさせてもらい、成長実感がありました。ところが逆に経験を積むことで、仮に新しい業務を任されても、こういう考え方で、こうした方法をとれば、こんな結果が得られるだろうというものが、なんとなく想像できるような気がしてきたのです。自分なりの付加価値を追求しろと部下には言いながら、自分はどうなのか、視野が狭くなってはいないか、惰性に陥っているのではないかという危機感です。

幸運にもさらに上までいったとしても、見える世界がどれほど広がるのか

組織の中で、さらに上を目指すという選択もあったのではないでしょうか。

有馬:このまま幸運にもさらに上までいったとしても、見える世界がどれほど広がるのか、と考えてしまったのです。というのも、管理職となり、役員となり、視野を広げるような学びの機会に恵まれました。なかでも、社会起業家といわれる人と出会ったことで、こういう世界があるのかと目を見開くことになりました。

 たとえば、デビッド・グリーンさん。社会起業家という概念を産み出したことで知られる米国の非営利組織アショカのフェローで、世界から「防げるはずの失明」をなくすために活動している人です。昨年、彼と一緒にインドに行きました。彼の活動に関心を持つ日本の企業の幹部と現地の病院の視察に行ったのです。

インドで目にしたこととは?

有馬:インドをはじめとする途上国では、先進国であれば手術で簡単に治療ができる白内障で失明する人が何千万人といます。彼はそのような国で貧しい人には無料で、お金のある人には規定の料金で白内障手術を行い、それでいて病院全体では利益がでるようなビジネスモデルを作り上げているというのです。利益と社会貢献を相入れないものと捉えていた私は本当にそんなことが可能なのか、この目で確かめたかった。

 インドでは、ちょうど飛行機のファーストクラスとエコノミークラスのように待合室は違っても、貧しい人もお金がある人も同じように手術を受けていました。製造・流通過程での付加価値のないマージンを徹底的に削り、お医者さんの効率を最大限に高めるために、手術以外の検査や問診はすべて訓練を受けた貧しい階層の農村出身の女性が担当していました。視力を取り戻した患者や生きることに希望と誇りを見出した女性たち、さらにデビッド・グリーンが医療現場で如何に信頼され、尊敬されているかを目の当たりにして、とても心打たれたのです。

 彼が資金調達のために準備した投資家向けの説明資料を見て、さらに驚きました。これまで見てきた普通の企業の資料と比べても全く遜色なかったのです。社会のためになるんだから、事業や経済的な利益の説明はいい加減でいいという妥協は一切なかった。ビジネスと社会貢献がとても高いレベルで統合された素晴らしいビジネスモデルだと思いました。

 アショカには他にも多くの素晴らしい社会起業家を紹介してもらいました。昨年7月には社会的リターンと財務的リターンの両立を目指す「社会的インパクト投資」の父ともいわれる、英国のロナルド・コーエン卿の話を聞き、高い志と熱い情熱、卓越したリーダーシップに感銘を受けました。

視野が広がり、いてもたってもいられなくなった

なぜ、社会起業家との出会いが退職につながったのですか。

有馬:こういう世界もあると知って、いてもたってもいられなくなったのです。このまま銀行だけにいていいのかと。ビジネスセクターとソーシャルセクターの間をつなぐことで何か新しいイノベーションが起こせるのではないかと。違う見方があると知った以上、もう元には戻れない。

 ちょうど、そんなときに、ハーバード大にアドバンスト・リーダーシップ・イニシアティブ(ALI)という、私の問題意識とぴったり一致するプログラムが10年ほど前にできたことを知りました。学びたいという気持ちが強くなって応募したら、合格してしまった。幸運の女神に後ろ髪はない、今のところ家族もみな元気だし、職場も順調で私の後任となる人も育っている。

 今しかない、(この世界に飛び込むのは)天命ではないかと思ったのです。心の声に従って、会社を辞めて留学することを決めました。何かを変えるときには、アウト・オブ・ボックス・シンキング、つまり組織を出て思考することが大切だといわれています。私の場合は、アウト・オブ・カントリー。外に出ることで、(広い世界の)砂の一粒になってしまうかもしれない。箱の中の安定をとるか、砂の一粒となっても広い世界をみるか、私は後者をとったわけです。

ハーバード大のキャンパスで
ハーバード大のキャンパスで

ハーバード大のプログラムは、具体的にはどのような学びの場なのでしょうか。

有馬:ビジネスや非営利団体、政府機関など、それぞれの分野で20年から30年実績を積んだリーダーを対象とするものです。ひとつの分野のリーダーシップだけでは対応できないような複雑な社会課題を解決するにはどうすればいいのか、自分の次の人生を意義あるものにするために何をするか、といったことを1年かけて学び、考えるのです。広い意味でのリカレント教育でしょうか。教育や気候変動、医療、格差社会といった課題についてハーバードの教授や外部の専門家が講師となるケーススタディーのほか、ハーバード大のすべての大学院の科目から自分の関心のあるものを選んで聴講することができます。

 受講生は、北米、南米を中心に、世界各国からきた48人。前職はインベストバンカーや弁護士、CEO、医師、国連職員、政治家、ジャーナリスト、非営利団体の代表など。なかにはペルーの元総理もいます。50代の私は若いほうで、上は70代まで。白髪の方が学生に交じって一生懸命に学ぼうとしている。もう一回将来に向けてギアアップしている。そうした姿を見て、大変刺激を受けています。

いったんバルコニーに上がり、これまでの30年を振り返る

学んだ後、次の人生のテーマとは?

有馬:金融やビジネスでの知識や経験を生かせればいいと思いますが、+αを何にするのか思案中です。今はまだ漠としていますが、広い意味での教育というか、人の成長を助けるようなことをしたいと思っています。人は学校だけではなく、会社でも社会でも成長する。私自身は、幸せなことに会社で成長実感を得ることができました。

 振り返ってみると、自分自身成長したと思えたのは、いずれも高すぎると思ったものにチャレンジしたときです。最初は、企業派遣の海外留学。1回目は志望理由もきちんと言えず落ちてしまいましたが、2回目で合格してハーバード大ビジネススクールに留学しました。それまでの仕事や組織、自分の置かれていた環境をより大きな社会的、歴史的文脈から捉え直す複眼的なものの見方を学んだことは、マネジャーとなってからおおいに役立ちました。

 二つ目の成長体験は、出産後に証券会社に出向してM&Aの業務に携わったことです。最初は本当に大変で上司を恨んだものですが、これもその後に生きる経験となりました。三つ目は、支店長になったことです。その数年前に支店長公募の制度が始まり、無邪気に手を挙げましたが、見事に落ちてしまった。でも、しばらく後の異動で支店長となり、組織のマネジメントを勉強することになります。

 挑戦→失敗→学び→再挑戦→成功といったサイクルで自分自身は成長してきた実感があります。このような経験も踏まえて、人が成長するとはどういうことか、どうしたら成長をサポートすることができるのかを考えていきたいと思っています。いま、アダルト・ディベロップメントという科目で、大人になっても人は進化できるという理論を学んでいます。日本も長寿社会を迎えるなかで、多くの人が高齢になっても何かやりたいと思っています。これは隠れた資源です。ちょっと磨けば、機会を見つけられれば花開くのに眠ったままになっている。この分野で私に何かできることはないか、今年の11月のプログラム修了までにじっくり考えたいと思っています。

今回のキャリアチェンジは、「人生100年時代」を考えてのものだったのでしょうか。

有馬:第二の人生を考えてという重い話ではなくて、もう少し自然体です。こういう世界にいきたい、と突き動かされるような思いからです。ただ、人生100年という時代に入り、のんきな私の寿命は120歳くらいかもと考えました。そうなると、これから60年以上もある人生をどうやって生きていくのか。リフレッシュして、エネルギーを蓄えたいと思ったのです。

 人は大きなキャリアチェンジをするときに、ニュートラルゾーンに身を置くといいそうです。ぽんと準備もないままにキャリアを変えてしまうのではなく、ワンステップおいてみるということです。私も1年間の留学で、いったんバルコニーに上がって、30年間の自分を振り返りつつ、これからの絵を描いてみたいと思っています。

ハーバード大のクラスメートと授業の合間に談笑する有馬さん
ハーバード大のクラスメートと授業の合間に談笑する有馬さん

これまでの「成功」をなぞるロールモデルには違和感があった

銀行を辞めるにあたり、どなたに相談しましたか?

有馬:海外に単身赴任中の夫に相談したら、すぐに賛成してくれました。夫とは、互いに企業派遣で留学中に出会いました。日頃から私の考えをよく話していましたので、頑張れと応援してくれました。英語が得意なので、応募に必要な英文のエッセイもチェックしてくれました。

 一人で東京に残ることになる大学生の一人息子も、あっさり「どうぞ」とひと言(笑)。出発前に、息子に好物のレシピを教えてきたのですが、どうやらちゃんと料理をしているようで、互いにいい自立の機会となったと思います。

銀行からは、引き留められたのでは?

有馬:実は先にお話ししたようなインパクト投資や社会起業家との協働は、銀行にいた時にも副業として認めていただいていたのです。その流れで、ありがたいことに、私のチャレンジは銀行にとってもいいことだから、全面的に応援すると言って頂きました。銀行に席をおいたまま留学した方が良ければそれでも構わないとも言って頂きました。しかし、安全圏に片足をおいていてはチャレンジにならない。金融という枠をはずれて、あらゆる可能性を探りたいとも思いました。大学で学んだことで、銀行の役に立てるようなことがあればまた一緒に働くこともあるでしょうし、それ以外の日本の企業やNPOの方々とも協働していければと思っています。

みずほ銀行では、女性初の生え抜き役員でした。後輩に道を拓くという意味で、辞めることにためらいはありませんでしたか?

有馬:もちろん責任は自覚しています。後に続く女性社員のロールモデルといわれてもきましたが、それにはいつも少し違和感がありました。私自身は、これまで「成功」とされてきた、既存のキャリアパスにうまく合わせているという意味でのロールモデルになりたいとは思っていなかったからです。自分なりに価値があると思うものに向かって、主体的に選択してキャリアを作っていくというモデルになりたい。

 ダイバーシティの価値はそれぞれが持つ違うレンズで見た景色を共有し、認め合い、よりよい全体像に向かって進んでいくことにあると思っています。個々が持つレンズもまた本人の成長によって新しいものに変わっていく。こうして成長し続ける個人とそれを認め合う組織が作れたら本当に素晴らしいだろうと思います。

 女性社員が開いてくれた送別会では、役員になったからこそ見えてきた次の世界に行く、ここで終わりではなく、続きのために辞める、その機が熟したということだと挨拶をしました。ありがたいことに、涙を流してくれた後輩もいました。

 実は男性からも、今回の決断に対して「うらやましい、応援している、頑張れ」といった声を多く頂きました。

ご自身がモデルとしてきた上司もいますか。

有馬:もう20年くらい前に、かつての上司から聞いた話がずっと頭の片隅に残っています。「自分が墓に入るとき、業績表彰されたとか、役員だったなんてことを思い出すことはない。それよりも、地方の支店長時代に、くすぶっていた部下にある役割を与えたら輝き始めた。支店長を辞めたあと、自分がこんな人生を歩めるようになったのは支店長のお陰ですと言ってもらえた。そんなことのほうが大事なんだ」とご自身の経験を語ってくれました。何かに迷ったときに、ふとこの言葉が降りてきます。人生を終えるときに、自分が思い出す価値あることは何だろう――と。

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