星めぐりコラム恒星編~アクルックス
こんにちは。ヒーリング&アストロロジーAngelicTwinkleのセラスリエです。
星めぐりコラム7はアクルックス~みなみじゅうじ座を取り上げたいと思います。
前回のコラムで取り上げたアゲナとトリマンの「ケンタウロス座」は、南天の星座(天の南極付近にある星座)で南の空低くに見えますが、その足下に入り込んでいるのが「みなみじゅうじ座」です。
南天星座は日本からは見ることができないものが多いのですが、その中で一番美しいと言われているのが「みなみじゅうじ座」です。
その名前の通りに十字架の形をしていて、十字架、クロスの一番下に位置しているのが「アクルックス」です。青く輝いている恒星です。
アクルックスの占星術的な意味は「物質世界を理解する」
男性的な現実に即した実行力、それによる具体化の力。そこから物質界、お金を得ること、などにも繋がるようです。
少し話は逸れるのですが、これを書いている今「TAR」という映画をアマプラで観ています。ベルリンフィル初の女性マエストロ「リディア・ター」とそれをめぐる周囲の人々のお話になっています。ケイト・ブランシェットがターを演じています。
そんなTARの映画レビューを読んでみると「富と権力を手に入れたターの転落劇」というレビューが多いのですよね。。真偽のほどは確認していませんが「もともとは男性の主人公を想定していた」というレビューもあり、なるほど「富と権力」は男性的なテーマなのだろうと思いました。
個人的には主人公のターは権力には興味がない純粋な努力家、指揮者のように見えましたが、生徒や彼女に近づいてくる人々も「権威者」としてターを見ていて好意を持ったり恐ろしがったり嫌悪したり、はたまた出世のために利用しようとしたり…様々に反応しているように感じました。そうした人々の呪いが効いて、ターはその座を追われることになってしまいます。。
権威者は純粋に見てもらうことさえも難しいのだな、とも感じましたし、ターの立場で映画鑑賞をすることで「権力者の受難や苦悩」という側面を感じさせてもらいました。という訳で「TAR」は「富と権力」をテーマにした映画でもあるのかなという印象を受けたのですが。
話を元に戻しますと・・・それは今回の「アクルックス」にも共通するテーマなのではないかと感じています。「富や権力」というと反射的に嫌悪してしまいそうですが・・・力があるからこそ、大きなことも出来るのでしょうね。それをどのようにして手に入れるのか、または大きな力で何を成すのか、それらとどう付き合っていくのか、などもこの恒星の学びの範疇にありそう。
TARを通して感じたように権威者というだけで周囲の人々からの視線が違っていますし、想像するだけでも大変そうですね。。ブレイディは「ソウルが物質界と取っ組み合いをする」とも言っていて、何だか頷いてしまいます。
また、アクルックスは先ほどケンタウロス座の足元にあるとご紹介しましたが、もともとはケンタウロス座の一部だったのだそう。ケンタウロスといえば「野蛮で好色な半人半馬の一族」ですが、やはり男性性をテーマにした星座だと思いますし、もともとは一部だったみなみじゅうじ座の「物質世界を理解する」というテーマも男性的なものなのでしょう。
共通して男性性の受難、苦悩というテーマがありそう。(性別が女性でも男性性は持っていますから、性別は関係なくお聞きくださいね。)
また、アクルックスと繋がりのある人としては、ベトナム最後の皇帝「バオ・ダイ」や改革家などの名前が目立ちました。最後の皇帝、はまさに大きな力を手に入れた権力者の苦悩、という印象ですね。一方で月とのパランを持つのはインドのマハトマ・ガンディー。こちらは「富や権力」へ挑戦する立場、という印象がありますね。
男性的な実行力によって富や権力を手に入れること、もしくはそれをどう扱うのか、それにまつわる受難。時に大きな力ゆえに翻弄される様子はロード・オブ・ザ・リングの力の指輪を彷彿とさせる気もします。
恒星占星学を見ていると人生の学びには様々なバリエーションがあるのだなと感じます。