Metaphysica Colum
今週は藍さん、もう一度夏休みです。Amariのほうから、先日ソフィアのブッククラブに載せた
アリスベイリー著書『未完の自叙伝』からの読書記事を、今回特別に掲載したいと思います。
「未完の自叙伝」から、と言っても今日は「付録」として巻末に入っていたジュワルクール大使による「私の仕事」という文章が、読んでいてとても響いたので、ぜひ紹介したいと思いました。
まず、この巻では、Aliceが順番に書いた著書について、その経緯や簡単な背景について、大使が説明をしているのと(情報ソースはジュワルクール大使なので「私の仕事」としてお話しになっているのでしょう)、
ブラバツキー夫人が最初に「知恵の大使方」を世に紹介してからの、神智学を受け止め、ある意味「沸いた」当時のヨーロッパの「オカルトブーム」、それによって低俗化してしまって、マスターたちの「印象が落ちてしまった」というような話も語られて、現在も同じような日本での「スピブーム」と重なる事も多くて、そこをなんとかアリス、創設されたアーケインスクール、そしてジュワルクール大使自身も、丁寧に言葉を選びながら整理し、場を清めようとしているのが伝わって来て、共鳴するような想いで読みました。
その他、響いたところを幾つか、紹介しておきたいと思います。
まず冒頭から。
1919年11月、大使はアリスに「接触」した。
当時のオカルトブームで、その手の文献が氾濫し、アリスはそれに良からぬ印象を持っていて、「あらゆる形のサイキックな著作とサイキックな仕事を深く嫌悪」していたため、自分のために執筆、出版して欲しいという要望を即座に断ったそうです。
彼女が快く思っていなかった部分について、大使は説得をしたようですが、その中に、
「肉体以外の視力や聴力はアリスには無く、その仕事を引き受けた以後もそのようなものは生まれないだろう」と、そして情報が真理であるかは、感じ取ることが出来るだろう、と伝えた。そしてアリスは、「この種の仕事への嫌悪感と、真理についての当時流行していた多くのオカルト的な提示方法に対する嫌悪感を克服した」とのこと。
一般的にスピリチュアルな「能力」=見える、聞こえる、という部分を通じてのアプローチや人々がそこに重きを置くような傾向に、アリスやジュワルクール大使のやっているような仕事は、まったく関係が無い、ということ。ここも私も最初からそのように思っていて、寧ろ、ヒーラーをしていると人に言うと「オーラは見えるの?」「私の前世は?」となる事には辟易、というのも個人的に理解できます。
二人の著書でよく書かれているように「霊媒師」はいらない、「霊的な知恵を身につけている、地球の進化のために働く思考者」が必要である、と。神秘的なものを感じ取る力は、学びや浄化が進んでいくと自然と拓いていくものであるとも言っていて、その感覚と、学びや人生そのものを通して身についていく思考力が、統合されながら発展していくことが重要、という事のようです。
神智学協会が設立されて、2回の世界大戦の間の時期。世の中は旧体制の社会や権力構造の崩壊と、戦後の作り替えで、人々は多く知的な意味でも神秘、スピリチュアルを求めたのだろうと思います。新しい秩序を探して、東洋や古代に遡り、長いこと固まっていたキリスト教を土台とした社会、身分制度、それを裏付ける教義などから離れ、真理とはなんぞや、という問いを求めた。
秘教的なものが大衆化すると起こることは、いつの世も同じだなと感じました。私自身の短いスパンでも、自分がニューエイジのスピリチュアリティに興味を持った時の真剣さやシャープさが、その後、「ブーム」到来の流れの中で何やら違うものになっていく。すると、興味を持とうと思えば持てたかもしれない「一般の(特にスピリチュアルなものが好きという訳ではない)知性と理性の持ち主」のような層の人々の目に、そのジャンルが低俗なものとして写り、遠ざけてしまう結果になるという。同じだ、、と感じてしまいました。
神智学協会は大使方の存在を教えてきたが、ブラヴァツキーはそのようにしたことをひどく後悔したと述べている。この教えは後の神智学のリーダーたちによって誤って解釈された。彼らはある根本的な間違いを犯したのである。彼らが描写した大使方はありえない無誤謬性を特徴としていた。ありえないというのは、大使自身も進化しつつあるからである。与えられた教えは、自己発達への専念と、個人の開花と解放への強い集中を推奨するものであった。
(p293『未完の自叙伝・付録:私の仕事)
こんなふう、あんなふう、とこの後にも色々な例、起きている傾向の例が続いている。今よりも100年ほど前なのでさもありなん、と思いますが、ハイラーキーという(地球人類の進化に関わっている意識の高い大使、マスターたち)構成や、学んでいる人自身や、その分野の人々についての、霊的な地位だとか、どのくらい進化しているとか.. 競争や嫉妬の温床のようになっていたよう。アリスはそのような風潮を目の当たりにして、神智学を真摯に学びつつも、そのような喧騒や間違った空気の中には入りたくないと感じていたよう。
重要なのは、伝えられている真理、教えそのものであるのに対して、受け止めた側の人々は、人間界のような思考で競争論理などを超えられていなかったのでしょう。
当時はまだ今より遥かに男性社会ですから、競争や階層に拘るというのも納得出来ます.. 今は逆に女性が多くスピリチュアルに惹かれているので、それはそれでまた、違う問題が起きているように思います。「上に伸びる」ことにこだわる男性心理ゆえに競争が生まれるのでしょうけれども、女性が集まるとつい横に繋がって楽しさ重視、になりがち。
そして、「世界奉仕者の新集団」についても、私が日頃考えていること、時折書いていることと同じで嬉しくなったので、皆さんとともに確認、共鳴しておきたく、大使の言葉を刻んでおきます。
「(何千人もの人々が)ハイラーキーのインスピレーションのもとで働いており、意識もしくは無意識のうちに大使方の代行者としての義務を果たしている。彼らは霊的な意図と愛によって内界で密接につながっている一団を形成している。さまざまなオカルトグループで働くオカルティストもいれば、ヴィジョンと愛をもって働く神秘家、伝統的な宗教に属している人々、そしていわゆる霊的なものへの関与を全く認識していない人々もいる。それでも、彼らはすべて人類の福利に対する責任感を動機とし、同胞を手助けすることを内的に誓っている。この大きなグループは今日の世界救世主であり、世界を救済し、戦後に新しい世界の幕開けをするであろう。」p301『世界奉仕者の新集団』
そして、こういった人々(魂たち)が働きかけることで、応えることのできる「善意の人々」も一定数いるということのようです。まだ、第二次世界大戦を「回避できる可能性がかすかに残っていた」1936年に、大使はその「善意の人々」を動かそうとキャンペーンをしたそうです。が、
「多くの人に影響を与えた。が、世界を飲み込もうとしていた憎悪、邪悪、侵略の風潮を阻止するのに必要な手立てを講じるには、霊的なことに関心を抱いていた人々の数は十分ではなかった。(第二次大戦は止められなかった)p302
… これと同じような感覚を、なぜか私は2021年ころかな、味わっていました。神智学には前世で関わっていたと思っているので、世相の似た空気感の中、必要以上に前世の記憶からか「もう手遅れか。」という気分になり、街ゆく人々の姿などを見ていて急に泣きたくなった、実際に涙が流れて来た、なんてこともありました。
そんな訳で、歴史は繰り返す、と言いますが、アリスベイリーの素晴らしい著作群が生まれた、その情報ソースである「チベット人」ことジュワルクール大使が存在していた当時と、今は、とても似ているのかもしれない。二度の世界大戦が起きていた混沌とした世相の中で、人としても懸命に生きながら、高次からの教えを受け止め、また普及活動に多くの秘教スクールを設立している。アリス著書にお世話になってきつつも、その背景を冷静に感じ取ると、その凄さはもう、言葉が出ないほど。
以前も一度「未完の自叙伝」を読み始めたことがあった。私はなんでも著者や演出家のような人にまずは興味を持って、舞台裏などを先に知りたい。その上で作品を読んでいきたいと考えるほうなので。2013年、ヒーラーズカレッジを始めた頃だったかな。けれども当時はまだまだまだ…
今は、寧ろ時代、世相の空気感もあって、彼女がどんな風にその役目を引き受けて人生の後半、困難な道を歩んだのかという部分に、以前よりも格段と積極的に興味を持っている。その生真面目さや正確さ、知恵深さでは足元にも及ばないけれど… これまで何度か、自分の意識や心の準備とはまったく関係なくその「世界奉仕者の新集団」なのかしらと思うような仕事へのお誘いに翻弄され、今のこの場所に繋がっているので…
この先、新しい世紀の始まり、とこの本でも表現されているのが2025年。来年。
大災害で日本の半分が、とか、四分の一が沈むとか、、色々言われていますが、その変わり目において、自分がどのようなスタンスで歩みを刻んでいくべきか。そういう自覚的な動機が、事前に有ったわけではないけれど、惹かれて読み始めた今、そこをしっかりと感じ取っていきたい。そう思っています。
Love and Grace
Amari