ソファーの上で態勢を変えると、ケンイチはサイドテーブルに置いたシャープペンを再び手に取った。
「なんか、難しい話だけど、なんとなく分かるような気がする。」
私はケンイチの右手の中でくるくると回されているシャープペンを眺めながら言った。
「でも、じゃあ、画面の中から私に呼びかけて来る人は、本当にその人と言えるのかしら。私、たまにだけど、その人が実際に存在している人なのか、分からなくなることがあるの。」
ケンイチは右手の中で、シャープペンを器用に回している。くる、くる、くる。…くる、くる、くる。…3回、回して、1回、休む。ケンイチは正確にそのリズムを刻む。
「サユミは正確には誰とも対峙していないんじゃないかな。君の前に存在しているのは、一つの精密機械であり、そのテクノロジーが作り上げた、仮想の世界だ。仮想の世界の中に物理的に、あるいは肉体的に誰かが存在する事はないよ。情報として存在はしても、君は感覚的にその存在を感じる事は出来ないんだ。」
そう言うとケンイチはシャープペンを回すのを止めて、それを私の目の前にかざした。
「今僕が君と話しながら、右手の指先で感じているのはこの一本のシャープペンシルだ。そして僕の網膜には、物体としての君の顔が映し出されている。」
ケンイチはそう言いながら、左手の人差し指で自分の左目を指差した。
「君が仮想世界の中で誰かの呼びかけに応えている時、君の指先が感じているのは、手元に配置されたキーでしかなく、君の網膜に映し出されているのは、ただの画面でしかない。それが、唯一君の実感出来るところでしかないんだ。そこに、繋がりを求めて何になるだろう?」
ケンイチの瞳は私に向けられている。
彼の瞳に私が映っているのが私には見えている。
ケンイチは身体をソファーから起こして、前のめりになって私に身体を寄せる。そしてテーブル越しに私の腕に左手で触れて、こう言った。
「僕たちは加速度的な多様化の中にいるけど、そしてそれはあまりにも気違いじみているように僕には思えるけど、本当は、シンプルに、こういうことなんだと思うけどね。」
ケンイチの左手が、彼の体温を私の腕に伝えていた。その温度は、当たり前であるかのように、繋がるという事を私に教えてくれた。
「紅茶でも飲もうか。」
ケンイチはそう言って立ち上がると、シャープペンを持ったままキッチンへ歩いていった。
私はケンイチの背中をぼんやりと眺めている。