こんにちは、楽々かあさんです。
LITALICO発達ナビさんの「かんしゃく特集」に「かんしゃく・パニックは予防が9割!?修羅場の回避には「3大危険地帯」の心得を...」というコラムを寄稿しました。
それでね、どうしてもコラムに入り切らなかった、懐かしいエピソードがあって…この場をお借りして、ちょっと思い出話でも。
それは、長男が小学校低学年の頃のこと。
「そろそろアヤツが家に帰ってくる時間だな」…と身構えて数10分。長男がなかなか帰宅してこないことがありました。すると、玄関のチャイムが鳴り、ほっとして出てみたら、近所の高学年の女の子が困ったような、心配そうな顔で立っていて、
「◯太郎君が、道の途中で、泣いて座り込んじゃってて…動けないみたいです」
…と教えてくれました。そのお姉さんには遠回りさせて申し訳なかったけど、機転を利かせて呼びに来てくれたことに感謝しつつ、私は慌てて教えてもらった場所に向かいました。
すると、近くの家の改装工事のための車両が、通学路の歩道に乗り上げて道を塞いでいて、女の子に聞いたとおり、その手前で○太郎が「道が通れないから、家に帰れないー!」って、わんわんと泣きながら、座り込んでいました。
下校中の他の子ども達は慌てることもなく、すいっと歩道を降りて、ほんの数メートル、工事車両を避けて歩き、また、何事もなかったように歩道に戻って、自分の家への帰路をてくてく歩いていくのだけど、当時の長男には、たったそれだけのことが、どうしてもできなかったんですね。
だって、先生の「通学路以外は、通ってはいけません」という言葉を、長男は律儀に守っていたから。
ほんのちょっとの臨機応変なルール変更が、泣くほど難しかったんです。
なんとか長男を一緒に家に連れて帰って、ようやく少し落ち着いてから、私はちょっと自嘲気味に笑ってしまいました。
…だって、同じようなことで、自分自身にも身に覚えがあったから!
私は田舎の小学生だったので、通学路の半分は山道、半分は田んぼ道で、結構な長距離を毎日イヤイヤ登下校していました。
そして、その通学路には、見渡す限り田んぼ以外に何ッッッにもない一本道の終わりに、どういうワケか小さな交差点がありました。道幅3メートル程度の道路を渡るための横断歩道に、歩行者用の押しボタン式の信号機…これが、ちーっとも変わらない開かずの横断歩道で。
車なんて、たま〜にトラクターがゴトゴト通るくらいで、ずーっと先のほうまで視界を遮るものもなくて大変見通しが良く、危険のかけらも感じられない、のどかな交差点。
私の目の前で、他の小学生達は当然のように次々と、右見て、左見て、もう1回右見て、車が来ないのを確認して、さっさと渡って、とっとと家に帰っていきました。
私は、「早く家に帰りたい…」と半ベソなりながらも、ずーっと青信号を延々と待ち続けて、ぽつんと一人で固まっていました。
だって、先生が「赤信号では、渡ってはいけません」って言ってたから。
…血は争えませんね。
今にしたら、私も、長男も、どうしてたったこれだけのことが、どうしてもできなかったんだろうって思うけれども、当時は、なんだかよく分からないけれど、もしもルールを破ったりしたら、何か、とてつもなく悪いことが起こるような不安感が強過ぎて、自分ではどうにもできずに、立ちすくんでしまっていた気がします。