命題「真理はある」
また、別の観点で考えるともしこの世の人智を超える存在がいると仮定すると「何らかの証拠を地上に残すはず」と考えることもできます。なぜなら、何も人類に教えないでいきなり「死後罰する」となると、神が法的に人間を違法に罰することになり法的責任を果たしてないことになるからです。あるいは説明責任=アカウンタビリティーとも言えます。人智を超えた存在(この場合は神とする)がその説明責任を果たさないで、人類を罰するというのは極めて違法になると考えられます。(あくまで、人間界の常識に照らし合わせて考えるとそのように想定できる。)つまり、その神の法的責任≒説明責任などの所在については、何も根拠がないとおかしいという話になるので宗教など何らかの形をともなって書物としてこの世に現状残されていて形として認識できるものとして存在していると考えられます。
真理のパラドックス
つまり、真理とは以下の性質から成り立っていると考えられます。
「真理はあるが、真理は分からない」
「この世に真理はあるが、人間には分からない」
とでも言い換えられます。つまり「真理はある」という命題と「真理はないorわからない」
という矛盾したパラドックスが起きる訳であり、つまりいくら真理を探究しても分からないようにできていると考えることが可能です。これこそがまさに真理のパラドックスと言えます。何千年もかけても、哲学、宗教、科学、スピリチュアルなどありとあらゆる手法で解明しようと試みても答えがでないのはそのためだと考えられます。