「エシカルライフのすゝめ」― 継続するための本当の「エシカル」―
こんにちは。藍です。ライターを目指しながら、普段は会社員をしています。自然派生活、エシカルな生活に興味があり、少しずつ日常に取り入れられるよう勉強中です。
突然ですが、私は「エシカルライフ」という特定の枠にはまった生活スタイルがあるわけではないと感じています。
エシカルという考え方を知ったその日から、「自分には何ができそうかな?」と これまでの自分の生活スタイル、自分軸を大切にしながら、「より人と環境に善い選択肢」として考えていく…そうすることで、無理なく、結果として継続してエシカルライフを育てていけるのではないかと思います。
「エシカル疲れ」「サスティナブル疲れ」「SDGs疲れ」という言葉があります。環境負荷などを意識しすぎるあまり精神的に張り詰めてしまったり、「こうあるべき」という理想的なライフスタイルと自身の生活を比較してしまって疲弊したりする、というもの。
アメリカでは、国民の67%が気候変動による将来的なインパクトを懸念している(「地球の危機的状況に対する慢性的な無力感や絶望感、罪悪感を「エコ不安症」という)とのこと。*
エシカル消費について考え始めると、必然的に消費の背景にある人権問題や環境問題へと繋がって来ると思います。
しかし全ての人が初めからすんなりと、それらの国際的な規模の問題が、自分の生活に繋がっているという感覚を持つわけではありません…。
「問題について知ってはいるけれど、自分が生活を変えたところで、さほど影響力はない」
「人権問題や環境問題はどこか遠い国で起こっていることで、自分には関係ない」
「エシカルの大切さは分かるけれど、普段の生活でいっぱいいっぱい」
など、エシカルについて知った後のリアクションは必ずしも「すぐ行動」とは限りません。
そんな中、地球規模の問題を自分事として捉え、「なんとかしなくちゃ」と行動できる人はむしろ少数なのかもしれない、と私自身、無力感を覚える瞬間もあります。
周囲の人たちに、まずエシカルライフという選択肢、その背後にある社会問題を知ってもらうということは大切な第一歩でしょう。しかし、エシカルライフの良さを広めたいあまりに、他者に強要してしまうような言動には気をつけないと、と感じています。。
エシカルライフはあくまでも個人の生き方の選択肢のうちの一つであり、「各々の人生で何に生きがいを見出すか」「何に価値を感じるか」は尊重する姿勢を忘れないようにしたいもの…。
そうはいっても、地球規模で起こっている問題に対する危機感とエシカルという選択肢を伝えたい…!と葛藤し、そして自分自身をも「もっとエシカルライフの質を高めねば…!」と駆り立ててしまう…「エシカル疲れ」は、このようなサイクルからも起きているのかもしれません。
「疲れ」てしまうほど、それだけ強く意識を持ち、行動しようとするのはとても大切なことです。…しかし、それによって心身ともにパンク寸前で、疲れ果て、燃え尽きてしまってはむしろエシカルライフを続けることが難しくなるかもしれません…。
このような「エシカル疲れ」という観点からも、自分のライフスタイルに無理なく取り入れていくことがエシカルライフの継続、そして新たなライフスタイルとしての定着に繋がるのではないでしょうか。。。
*参照:エシカルな暮らし『「サステナブル疲れ」を感じたときにやめてよかった6つのこと』 Forbes Japan 2022年9月23日 https://forbesjapan.com/articles/detail/50606