こんにちは。楽々かあさんです。
この公開メルマガ配信とTwitterで、ぼちぼちと発信活動を再開していますが、3年間のカンを取り戻すのに四苦八苦しているトコロです……(笑)。
私がSNS発信をお休みさせて頂いたのが、ちょうど3年前の2017年7月でした。今回は、「この3年間、楽々かあさんは一体どうしていたか」のお話です(自分語りですみません)。
結論から言うとね、めっちゃ大変でした!!!
まず、長男の中学受験。長男は「地元の公立中学に行くなら、オレは不登校する!」と断言していたので、勉強以前の問題山積の中、塾にも通わず、家で私もほぼ長男にかかりッきりの親子二人三脚の受験でなんとかしました(おかげで、私も大変勉強になりました)。
本人が「どうしても行きたい」という学校があったので、周りの協力を得つつも、最後は長男の強い意思と、努力とド根性とお得意の過集中パワーで、漢字が書けないことも、大量のケアレスミスも、興味のないことには集中できないことも、本来「努力では乗り越えられないハズの壁」を、本人が無理やり、力技でねじ伏せ、ぶっ壊しました。
こういう、爆発的なエネルギーや諦めない粘り強さは、こんなタイプの子の本当にスゴイ長所だと思います。
でもね、「勉強以外」の試練の壁も本当に沢山あって…。
私立中学受験は、うちの地域では公立高校受験ほどには成績表(内申点)を意識しなくていいのですが、それでも、5年生で在籍していた支援級から、6年生で通常学級に戻って受験に備えたことで、長男に二重の負担がかかったり…(LITALICO発達ナビ寄稿「【発達障害と成績表】特別支援学級と通常学級で違うの?子どもたちの未来に関わる大問題を知ってください」参照)。
それから、努力の甲斐あって長男は1月くらいには志望校の安全圏にいたので、あとは「いつもどおり」で大丈夫だったのですが、本命1校だけの入試本番直前3日前に、長男にとっては死にたくなるくらい、本当に心が張り裂けそうな、つらい出来事があって……私も目の前が真っ暗になりました。
そこをギリギリなんとかリカバリーして、受験当日を迎えたものの、過度な緊張から試験中に体調を崩してしまい、急遽、保健室受験になったり……。
そんなこんなのスッタモンダの末、なんとか長男は自分に合った学校に無事合格。
長男からは、厳しい現実を直視しながらも、希望や理想を諦めずに前に進むにはどうしたらいいのか、一緒にあがきながら学びました。
ところが、ようやく、長男が中学に楽しく通い始めて、ほっとしたのも束の間。
今度は次男が、突然小学校に行けなくなってしまいました。
本人は「学校に行きたい」とは言うものの、登校時間の5分前になると、お腹が痛くなってトイレから出てこれず、そのまま欠席する日々が続き……。
私が長男にかかりきりだった間、優しく我慢強く繊細な次男は、本当にいろんな感情を溜め込んでしまっていて、でも、「かあちゃんが大変そうだから」言えなかったのだと思います。それに加えて、双子のようだった兄の卒業や、思春期に差しかかって変わっていく友だち関係など、一言では表しきれない混沌とした次男の感情が、周りを気遣って口に出せない分、全部身体への表現となって出てしまっていたようです。
それで、私もお医者さんやスクールカウンセラー、保健室の先生などとも連携しつつ、次男の心と体調と相談しながら、行けるときは部分的に登校したり、学校に行けたと思ったらスグに担任の先生から電話がかかってきて、迎えに行ったり……という日々でした。
なので、家で不安になっている次男を一人にできなかったり、頻繁な学校への送り迎えなどで、私自身も買い物も自由に行けないことが一年くらい続いて、ストレス&疲労MAX。次男の感情に共感し過ぎて、自分も一緒に体調崩しちゃったりも……。不登校のお子さんを支えるご家庭の大変さなどを、身にしみて実感する時間でした。
とにかく、できることをできる限りやってみて、結局何が一番良かったのか分からないけれど、6年生進級のクラス替えを機に、だんだんと体調が安定し、次男が1日中登校できる日も増えたのですが、結局は「兄と同じ学校に行きたい」という本人の希望が出てきて、そこから遅まきの親子中学受験、再び。
次男はLD傾向などはあまりなく、学習面での大きな支障はなかったものの、体調と相談しながら「無理しない受験」で、限られた時間の中、効率重視作戦でなんとか間に合わせました。
次男とは、他人と自分の両方の心を大事にするバランスの取り方や、限界を越えてがんばらないようにする線引き、自分に素直に正直に、できないことには「できません」と言えるようにすることなどを、一緒に練習しました。
次男も無事合格し、ほっとはしたものの、予定外に上の子二人が中学から私立に通うことになってしまい(私自身はずーっと小中高大と国公立だったので、教育資金の計画などは、学校=公立校前提でしか、当初全く頭にありませんでした)、パパと「ライフプランを見直さなきゃね」なんて話をし、私も「在宅の著述業1本では、なかなか厳しいなあ」なんて思っていた矢先のコロナです。
そして、突然の新型コロナウイルスの影響による休校で、小学校卒業間近だった次男も結構大変でしたが、うちで一番ダメージが大きかったのが、友だちも多くて、学校も好きだった長女です(参照・同「発達障害&グレーゾーンの3兄妹が獲得した「適応戦略」とは?コロナ後の時代を生き抜くために」)。
休校期間中、オンライン授業で、ほぼ時間割通りの学習機会が確保されている兄達の横で、私は長女とホームスクーリング状態で、漢字ドリルとプリント学習に付き合いながら、メンタル面のケアなどをしていました。
一旦は緊急事態宣言が解除され、登校再開できてからは、徐々に「いつもの娘」の表情に戻りつつあるのですが、それでも、「コロナ怖い」と言って、今までのように放課後学校から帰ってすぐ、公園や友だちの家に元気に遊びにいく姿はまだ見られません。
長女とは、一見当たり前に思える日常の中に、小さな喜びや、ささやかな楽しみを見つけながら、一日一日を大事に生きることを現在進行形で試行錯誤しているところです。
本当に、この数ヶ月で世界がひっくり返ってしまって、未だにその影響は図りしれず、また、ひとまず収束したかのように見えた日本国内でも、今後どのように感染の広がりなどが変わっていくのかも、見通しが立たない状況ですよね。
そんな中、予定変更の連続で子ども達にも、大人達にも、大きな負担がかかっていることと思います(うちも、子ども達の夏休みが大幅に短縮されたり、長男の修学旅行が延期になったりです)。場合によっては、再度休校もあるかもしれませんね。
こんな時は、なにも根拠がなくてもいいので「大丈夫」「なんとかなる」と自分自身にも声かけしながら、一つひとつ、目の前の「今の自分にできること」を地道に続けていくしかないのかな、なんて思っています。