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新世代哲学マガジン

~非常識超越思考法への道~ 

哲学の限界と哲学を学ぶ意義~人智の限界性と真理~(2023/6/12)

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先人たちの哲学から見た哲学の限界性

哲学はどちらかというと文系に近い気がします。実際に文系の学問でもあるのですが・・・ 天才ウィトゲンシュタインの分析哲学で使われてる彼自身が考案したオリジナル応用論理学のようなものですら経済学の数学や数式と大して変わらないレベルだと感じます。だから、自分のような文系でも理解できるし、文系理系の中間の統計学の証明数式の方が遥かに難しいと思います。ハイデガーやヘーゲルみたいな哲学最難関レベルになると、今度は完全に形而上学になるので数式なんて概念は一切なくひたすら哲学的に難解な事柄について病むくらい考察しているだけで行き着く先は「答えがない。」になっている気がします。ウィトゲンシュタインが言った通り哲学では何も証明できないことを彼ら自身が証明してしまっていて、結局「語りえぬものについては沈黙せねばならない。」ということになってしまいます。

 

01平和理論の限界

 

なぜ哲学には限界があると感じたのか?それは、自分が10年間考えた末に思いついた哲学理論に限界を感じたからでもあります。つまり以下のような結論にいきつきました。

「 人間 の 頭 で いくら 試行錯誤 を 繰り返し て 度重なる 思考 を 試み た として も、 その 肝心 の 平和 の 定義 とは 何 なのか? が 分から ない ため で ある。」 という もの で あります。 これ は、 なぜ かと 言え ば 平和 の 意味 など そもそも 人 それぞれ 異なる からで あり、 10 人 い たら 10 通り、 100 人 い たら 100 通り、 世界中 の 60 億 人 人口 が い た と し たら それ こそ 60 億 通り の 回答 が 得 られる こと に なっ て しまう わけ で ある。 なぜ そう なる のか? という こと を さらに 深く 哲学 し て 見る と「 そもそも 我々 人間 は この世 に 生まれ た 意味 も この世 が 存在 する 意味 も 分から ない。 それ 故に、 この世 の 意味 は 定義 づける こと が でき ない。 定義 でき ない この世 が なぜ だ か 存在 する わけ で あり、 そう なる と 自ずと 世界 平和 の 意味 を 定義 づける こと が でき ない のは 必然 で あり 当然 の 結果 で ある と 帰結 せ ざる を 得 ない。」 これ は 換言 する と、 この世 の 意味 が 分から ない の なら ば、 その この世 の 概念 の 中 に 含ま れる この世 の 平和 = 世界 平和 という 言葉 も 当然 意味 が 分から ない という こと に なる のでは ない か? と 考え られます。 つまり、 禅問答 で あり いくら 考え ても 無限 ループ で 繰り返さ れ 解決 に 到達 する こと は 絶対 に あり 得 ない のであります。 ここ に 人間 の 考える 哲学 および 哲学 理論 の 限界 が ある と 言える のでは ない か? これ は、 ウィトゲンシュタイン も 論理 哲学 論考 で 述べ て いるのですが、 世界 や 宇宙 や 神 と 言っ た 形而上学 的 な こと は いくら 考え ても 人間 の 思考 の 範囲 外 に ある ので「 語り え ぬ もの について は 沈黙 せ ね ば なら ない。」 ので あり、 つまり「世界 平和 について も 語り え ぬ もの だ から 沈黙 せ ね ば なら ない。」 そして、 これ が 私 の 出し た 結論 で あり 10 年間 哲学 し て き た 結果 でも あり、 人間 の 考える 哲学 に限界を感じたというわけです。

 

 

「語りえぬものについては沈黙せねばならない」                   by ウィトゲンシュタイン

 

「世界平和についても語りえぬものだから沈黙せねばならない」              by 内田啓太

 

 

 

02文系理系の天才の限界

先述のように私のような文系からすると統計学の証明数式ですら経済学の数式より難しく感じるのであり、さらにそれよりも遥かに

難しい量子力学とか宇宙論とかがすべて分かってしまうらしい、天才SEの方と知り合いになったのですが、彼いわく「現代の科学の最先端である量子力学をもってしても宇宙ビックバンの謎すら解明できない。」と教えてもらったことがあります。 つまり、文系の天才=哲学者でも理系の天才=量子力学の物理学者でもこの世の謎は分からないということです。

 

03哲学を学ぶ意義と真理

それでは、答えが分からないならばなぜ哲学を学ぶ必要があるのか?意味ないではないか?と思われるかもしれませんが、そのようなことはありません。哲学を学ぶことで、なぜ哲学や人智には限界があるのかということが自ずと分かるようになるからであり、それを系統的に学んだり、自ら哲学してない人はなぜ哲学では答えが分からないのか?ということが何となくでしか分からないということになるからです。そして、それこそがまさに哲学を学ぶ最大の意義であり、人間の分かるモノの範囲は限定されていて、人智には限界があることが理解できるようになります。そして、それこそが人智を超えた何らかの真理がこの世には存在する可能性がある、という結論になるわけです。そこまで学びきれてない人というのは人間の知性というものを過信してしまう恐れがあると思うので、是非ご自身で哲学を学ばれるか、あるいは自ら長年哲学してみてください。

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